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日本ゴルフツアー選手権イーヤマカップ 2002
JGTOゴルフトーナメント功労賞授賞式「世界に通じる選手の育成を、が父の口癖でした」
モノクロームの宮本氏は、優しい笑顔を向けていた。
『第2回JGTOゴルフトーナメント功労賞』
この日3日目。第3ラウンドのスタート前、1番ティでその表彰式が行われた。
三女の杉村悦子さんと杉村さんのご子息、つまり宮本氏には孫にあたる明剛さんが、今は亡き氏に代わって受賞。
島田幸作JGTOチェアマンの手から、日本ゴルフツアー機構のロゴマークをかたどった18金のメダルと楯が杉村さんの手に渡ると、1番スタンドに詰め掛けた大勢のギャラリーからは、その功績を称える拍手と大喝采。
その瞬間、ティグラウンドに飾られた写真パネルの中の、氏の笑顔は、いっそう深まったようだった。
今年生誕100年を迎える氏が、日本人選手として、初めて世界の舞台へ降り立ったのは、今からちょうど70年前のことだった。
安田幸吉氏とともに出場した、1929年のハワイアンオープンが、始まりだった。
その後、1932年全米オープン、全英オープンにも挑戦。パインハーストでは、あのボビー・ジョーンズとエキシビジョンマッチを行い、この時、負けたジョーンズからサイン入りの5ドル紙幣が送られたエピソードは有名だ。この5ドル紙幣は、JGAゴルフミュージアムに、当時の思い出とともに、いまも大事に飾られている。宮本氏が世界への扉を開いた、瞬間だった。
もちろん日本国内でもめざましく、日本オープン6勝、日本プロ4勝、関西オープン3勝、関西プロ3勝などの成績を残した。
晩年は後進育成、アマチュアへの指導に尽くし、その人柄は1985年12月に83歳で亡くなられたあとも、多くのゴルフファン、関係者に語り継がれている。
※ 杉村悦子さんの受賞コメント「まずはこのような、栄誉ある賞をいただきまして、父に代わり、みなさまには、心よりお礼申し上げます。
父は生前、日本からも、世界に通用するプレーヤーを、どんどん、育て送り出していかないといけないと、口癖のように話しておりました。
父はいまから70年前に初めて世界に出て行きましたが、当時には考えられない、いまの日本選手のみなさんのご活躍には、父も、きっと驚いていることと、思います。
これからも、ますますのご発展を、お祈りいたします。 本日は、まことにありがとうございました」
※ 『JGTOゴルフトーナメント功労賞』…日本のゴルフトーナメント界の発展に大きく貢献した方を表彰するもので、昨年の第1回の受賞者は中村寅吉氏でした。第2回の受賞者の 故 宮本留吉氏は1929年安田幸吉氏と共にハワイアンオープンに出場、日本人選手として初の海外遠征でした。
宮本氏はその後もたびたびアメリカ遠征、1932年全米オープン、全英オープンにも出場、パインハーストであのボビー・ジョーンズとエキジビジョンマッチを行い、この時負けたジョーンズからサイン入りの5ドル紙幣が送られたエピソードは有名です。
現在この5ドル紙幣はJGAゴルフミュージアムに飾られています。第2回JGTOゴルフトーナメント功労賞の表彰式は日本ゴルフツアー選手権イーヤマカップの期間中に行われます。