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日本オープンゴルフ選手権 2008
片山晋呉が2度目の日本一でツアー通算25勝目
ゴルファー日本一にふさわしいチャンピオンを決めるべく、一分の隙もなく、どこまでも厳しく仕上げられた舞台も、この日の彼のために用意されたものだった。
そう思うしかないような、劇的な幕切れだった。
今となってはティショットを木に当てて、4メートルを残した2番(パー3)のピンチも、林に打ち込みながら、残り114ヤードの第4打をピンそばにつけた16番パー5のパーセーブも、勝負の鍵を握ったこの2ホールも、周到に練られた物語りの味付けにすぎなかったのかもしれない。
5月の日本プロから何度もチャンスを迎えながら11試合で足踏みが続いて「もう勝てないかもしれない」。苦しみ抜いた6ヶ月間も、このモンスターコースで3メートルのウィニングパットを決めるためだったのか、とも思えてくる。
17歳の石川とは対照的に、試合で初めてドライバーを封じ、あえて長いクラブで果敢にグリーンを狙い、フェアウェイキープ率は67.86%で堂々1位。どんなピンチも「最高にフェアなセッティング」と真摯に向き合い、35歳の技術とプライドで耐え抜いた。
本人も言った。
「勝てなかったこの半年は、試練だった」。
古賀は、最後の壁だった。
「僕を1ランクも2ランクも成長させるためにあった」。
笑顔でそう言えるのも、この最高の結末があってこそ。
片山晋呉が2005年以来2度目の日本一でツアー通算25勝目を決めた。
国内最高峰の舞台で、史上7人目の永久シードに辿り着いた。
「35歳で25勝」と日記に書き込んだのは、今から約10年前。24歳のころだ。
ツアーの出場権すらままならない時代だった。
日大3強と称されたうち、宮本勝昌と横尾要の同期2人にシード権ばかりか優勝でも先を越され、打ちひしがれた精神状態の中にあってさえ、この日のことを自ら予言し、信じて疑わなかった。
この日集まったギャラリーは11,828人。
迎えた最終18番は、グリーンに上がった瞬間、祝福の嵐に包まれて少し涙ぐむ。
卓越した技術と精神力で難コースをもねじ伏せて、ただひとりアンダーパーの完全勝利だ。
そのうえ偉業の達成に「絵に描いても出来ないこと。自分を褒めたいと思います」と、声を上ずらす。
単独2位に迫った石川に「遼クンは1打1打、本当に楽しそうにゴルフをする」と、その若さを羨んだ。
「僕らのように10年もやっていれば、どうしてもプロとして慣れが出てきてしまう。遼くんのような溌剌さが無くなってしまう」と嘆いていたが今週、久しぶりに読み返した当時の日記が、新人のころの思いを蘇らせた。
当時は自分以外の誰もが「無理」だと笑った筋書きを実現させて、ドラマより数奇なクライマックスを演出した。
今はもっぱら、携帯電話のフリーメモがノート代わりというが、いままたあのときのような“未来日記”を書くとしたらと聞いたら、こんな答えが返ってきた。
「次は何歳までゴルフがやれるか。若い子たちに勝てないな、と思う日が来ても、それでもまだ自分はやれる、というのを1年でも長くやること」。
石川も将来、必ずこのタイトルを取るだろう。
「それだけの力がある選手」とその才能を大いに認めつつ「だけどまだまだ取らせない。まだまだ負けないつもりです!」。
打倒・片山も受けて立つ。これからも溌剌と、若手の大きな壁となる。