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日本プロゴルフ選手権 日清カップヌードル杯 2010
谷口徹が第78代目のチャンピオンに
2010年度のプロ日本一決定戦。舞台となった長崎県のパサージュ琴海アイランドゴルフクラブは内海の大村湾に面した風光明媚なコースだ。しかし最終日は特に、その美しい風景を、楽しむ余裕すら持てなかった。
硬く締まった起伏の激しいグリーンは、「安心して打てるパットなど、ひとつもなく」。
まして前週の日曜日に風邪を引き、開幕直前の水曜日には、お腹を壊して「トイレが僕のベッドになっていた」。
体調万全とは言えないまま迎えた本戦は、「今度はハラハラドキドキの連続で胃が痛かった」。
おまけにこの日は今季メジャー第1戦にふさわしい好ゲーム。最後まで、同組は38歳の平塚と40歳の藤田という2人の実力派に挟まれプレッシャーをかけられた。
特に平塚は、「優しいヤツだと思っていたのに。実は先輩いじめの悪いヤツ」との毒舌も、賛辞の気持ちの裏返し。
平塚は4番でトリプルボギーを打って、一度は沈んだと思った。気を抜いたわけではなかったが、そのあとの挽回には度肝を抜かれた。ついに平塚に逆転を奪われたのは12番。
「心が折れそうになった」と、珍しく弱音を吐いた場面も。
それでも勝利をたぐり寄せられたのは、「僕の実力が凄いから」と、最後はやっぱり“舌”好調の42歳。日本オープンは2度の優勝があるが、このプロ日本一は初タイトル。
「年齢が年齢だけに、今回逃すと厳しい」と歯を食いしばり、再び並んだ13番では110ヤードをピンそばの80センチ。
「絶対に優勝を持って帰る」と言い聞かせた14番は、5メートルのバーディパットで再び首位に返り咲き、ど派手なガッツポーズを突き上げた。
しぶとく食らいつく平塚を、1打差で振り切った。
藤田には「お返しが出来た」。2試合前は、国内第2戦の「つるやオープン」でプレーオフ3ホールの末に敗れた悔しさを、最高の形で晴らしてみせた。「今日も、3人で良いプレーが出来ました」。2人への感謝と激戦の興奮には我知らず、つぶらな瞳もうっすらと潤んだ。
78回という長い歴史の中で、初めて大会に、冠スポンサーがついた今年。副賞に、日清食品のカップヌードル10年分を受け取って、「記念すべき年に勝てたことはとても光栄」と、頬に充実感を滲ませた。
世代交代著しい男子ツアーにおいて、若手の壁になると誓ったのはこのオフ。恒例の宮崎合宿は上田諭尉や岩田寛ら若手を募り、自らお手本に徹した。
朝は誰よりも早起きしてジムで汗を流し、ラウンドでは試合さながらのショットを連発。
練習ラウンドでさえ、常に真剣勝負は無言のメッセージだ。
「練習場で、ただ漫然とボールを打っているだけでは意味がない。アプローチひとつにしてもバリエーションを増やすとか、中身がないと何発打っても同じこと。試合以上の集中力で球を打つこと」。
コントロール重視を緩めて以前より、振るようにしたというドライバーも、若手となんら遜色なく飛ばして、たとえば「岩田をヘコました」。
谷口の軽口に油断して、生意気な口をきいた若手もしっかりプレーでぎゃふんと言わせて威厳を示した。オフの段階で、早くも「こてんぱんにやっつけた」。
技も、パワーも。「お前らにはまだまだ負けない」。ベテランのプライドが、2010年の原動力だ。
妻の亜紀さんが、9月に第二子の出産を控え、まだ見ぬ子が「分かるようになるまでは、ちゃんとゴルフで活躍しているところを見せたい」。父の願いも「やる気」にいっそう拍車をかけた。
このプロ日本一のタイトルで生涯獲得賞金は、史上5人目となる12億円を突破して、「僕もやるときゃやるんです」。このツアー通算16勝が、ますます欲を引き出した。
永久シードの25勝まであと9つ。「いよいよ1桁になって、カウントダウンが始まった」。
この週63歳にして、決勝進出を果たしたジャンボ尾崎のように。「生涯現役」を目指すなら、なおさら達成したい目標でもある。
先の中日クラウンズで58をマークした18歳。「遼くんはやることなすことえげつない」。
そう舌を巻きながらも、二回り以上年下にもライバル心はメラメラだ。
この週は、石川が2日でコースを去り、内心は心配だった。「遼クンがいなくなって、もうお客さんが来てくれないかもしれない」。しかし、最終日に駆け付けたギャラリーは1万1667人。
たちまち強気に「男子ツアーも遼くんだけじゃないところを、僕が見せておきました」と、拍手喝采を浴びたころにはすっかり本来の調子を取り戻し、憎たらしいほどに声を張った。