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今週、全英オープン
わかりやすく訳せば「ゴルフに精通した、エジンバラの紳士的なゴルファーたちの神聖な集まり」。最初に1744年に設立されて、そのあと倶楽部のコースとして「ミュアフィールド」が出来たのが、1891年。その翌年にはこの全英オープンが開催された。
スコットランドの首都エジンバラを東へとり、フォース湾沿いの砂丘地帯に横たわるリンクスコースは一見、平坦な地形に見える。しかし、実際には無数の小さな起伏があり、フェアウェーは狭く、海風にさらされたグリーンは硬く締まって取り囲むバンカーは深い。
設計家のオールド・トム・モリスがこのガランの街にコースを描いたときは、無造作にティーインググラウンドと、グリーンの位置を示す旗が立てられただけだったという。しかし、実はアウトコースはコースの外側に時計回りに、インの9ホールはその内側を逆回りするという周到なレイアウトは、1ホールごとに風向きが一定せずにプレーヤーの頭を悩ます。緻密な計算のもとに、誕生した。
15日の月曜日に、谷口徹と丸山大輔と練習ラウンドに出た藤田は「風が読みにくいという感じはないですけど、右にフォローで出て行って、左にアゲンストで戻ってくるセントアンドリュースとは、違いますね」と、言った。
しかし、4年連続5度目の出場の賞金王には、太刀打ち出来ないというほどでもない。むしろ「日本選手には、活躍の幅が広がるメジャー」と、位置づけている。
何より、風の影響を受ける大会は、「上から落として、パワーでという選手は苦労をする。力で止めるというのはほとんどなくて、低い球で手前からごろごろ転がしてというコースだから」。
そんな特性を考慮して、今回は3番アイアンと5番ウッドを投入してきた。「風の影響を減らすことが、一番大事ですから」と、策略を練っている。
やはり、ここミュアフィールドで行われた2002年を含む、2年連続9度目の挑戦となる谷口は、「あの頃のほうが、もうちょっと上手かった」と、練習ラウンドから早くも弱気?!
あれから10余年を経て、伝統と格式のコースにも、改良が加えられて、「距離も伸びて、跡形もなく変わっているような気もする」。元来は、正確無比なドローヒッターも、「今までと違うゴルフをしなければいけないような気がする」と、難コースからの問いかけには思案顔だ。
それでも藤田とともに、いま日本で最強のアラフォーコンビの一人は、子どものように、胸躍らせる。全英オープンといえば、野球場のスタジアムよろしく迫力満点にそびえる18番ホールのギャラリースタンド。
「最終日はここが、一杯の時間帯に上がって来たい」と、夢見るように言った。たとえ予選通過を果たしても、たとえば最下位に近い早朝組ならまだ、スタンドもガランとして「ぽつぽつとしか人がいない」。その中を上がってきても、「寂しすぎる」。出来れば、最終組からそれほど間が空かない組。たとえば、後ろから6番目くらいの組で上がって来れたら…。
「満員御礼の中で帰って来れたら。快感でしょうね」。日本で待つファンだって、そんな谷口をぜひ見てみたい。