記事
僕らのツアー選手権 / 市原弘大の選手権
選手や関係者が普段、大会を話題にする際には短く「ツアー選手権」とか「選手権」と呼ぶ。
18年大会の勝者は、我が道を信じて歩き続けてきた不屈の男。
プロ18年目のツアー初勝利を、5年シードの日本タイトルで飾った。
市原弘大に、JGTO会長の青木功はこの上ない祝辞を贈った。
「若いのばかりが勝てるわけじゃない。いくつになっても挑戦する気持ちがある人間だけが勝てる」。
当週の火曜日に、36歳の誕生日を迎えていた。
埼玉平成高校卒業後、すぐのプロ入りからその年18年目。
「人生の半分を、プロゴルファーで過ごしているなと思うところがある」。
左手親指付け根を痛めた前年は、賞金ランク88位で人生2度目のシード落ちを喫してQTからの出直しを誓ったばかり。
「アジアに行ったり、シードを獲ったり落としたり。これまで色々あって。自分でも、よくこれまで続けてこれたもんだと」。
5打差から出た最終日には、後半13、14番のボギーで失速。
「上手くいかないことが続けば僕だって腹は立つ」。
そんな時こそ無理でも笑うクセがついたのは、いつからか。
窮地の時ほどあえて大きな口で、笑みを作る。
「いつも切り替えは早いほう。根を詰めるとろくなことはない。へこたれている暇はない。最後も、開き直った」。
1差を追って迎えた18番の3打目は、奥からのアプローチがあれよとチップイン。
劇的エンディングに「自分が一番驚いた」。
駆け付けた大先輩の谷口徹も、勝利の水シャワーを浴びせて「弘大に、奇跡が起きた!」。
常に笑顔を忘れぬ男に、宍戸の女神がほほ笑んだ。
難攻不落の宍戸で、プロ19年目の大金星を挙げた。
「みんなが喜んでくれたことが一番嬉しい」と、笑いながら泣いていた。
デビュー時に転戦したアジアンツアーでついたあだ名が「スマイリーフェイス」。
感動の初Vから2年。今週月曜日に38歳の誕生日を迎えたばかりの笑顔の戦士。
市原弘大の「ツアー選手権」とは……?
「5年シードや海外ツアーの出場権利もいただいて、僕の視野をさらに広げてくれた試合」。
初勝利を達成した18年はその後、11月のダンロップフェニックスでも、数々の奇跡を起こして早速ツアー2勝目。
神がかりな1年に、プロ19年の苦労も吹き飛んだ。
「『選手権』は、ツアーで活躍するプロならだれでも獲りたいタイトル。最後まで、緩めることなくそれを引き寄せられた優勝だったと思います」。
五十嵐、竹谷、そしてこの市原。宍戸で語り継がれる、3人の諦めなかった不屈の男たちのストーリーだ。