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日本オープンゴルフ選手権競技 2011
これがツアー初出場!! 秋吉翔太が好発進
「せめて一生懸命、明日につながるゴルフをしよう」と、考えた。「他は普段どおりにプレーした」と、特に取り乱すこともなく、良い意味の開き直りが奏功した。
17番でバーディを奪ってからは、まるで別人のゴルフを展開した。さらに3番で、6メートルのバーディを決めると4番パー5はチップイン。手前のラフから17ヤードのアプローチを直接入れてイーグルだ。6番では、10メートルのバーディトライも決まって、上がってみれば2アンダーと好発進した。
このゴルファー日本一決定戦は、樟南高校(鹿児島県)3年時に初参戦。「スコアはボロボロ」で予選落ちこそ喫したが、「ガキの頭で“ショットでは負けてない”」。
だがプロの「本当の厳しさ」に気付くのに、そう時間はかからなかった。ジュニア時代は、1つ下のライバル、石川遼に刺激を受けて、2008年に「僕も」とプロ転向。勇んで荒波に飛び出したはいいが、出場のチャンスにすら恵まれなかった。
「ばあちゃんのダイエット」をきっかけに、中3から一緒に始めた加圧トレーニングで体を鍛え、地元熊本県の「くまもと中央カントリークラブ」をホームコースに練習を積みながら、出番を待つ日々。
10歳で、息子にゴルフを勧め、今週はバッグを担ぐ消防士の父・卓さんは、「あのときの1打が生きた」。先月の地区競技「九州オープン」は、このゴルファー日本一決定戦の予選会をかねており、大事な一戦。
「でも、あいつはハーフターンでダブルボギーを打って。“簡単に試合を捨てるつもりか、と”」。
父親のゲキに応えて、後半のバーディラッシュが効いた。終了直後は出場権を得られない順位も、上位選手の資格重複などで、繰り上がりで権利を得た。
2009年にレギュラーツアーの登竜門「チャレンジトーナメント」は1試合で出場経験があるものの、プロ初ツアーには、練習日に久しぶりに再会した石川に「お久しぶりです」と声をかけられまんざらでもない。「覚えていてくれたんだ」と、それにも気を良くして好スタートに、「ギャラリーのみなさんに楽しんでもらえるような、魅せるゴルフがしたい」と、がぜん心も弾む。