Tournament article
とおとうみ浜松オープン 2012
J・チョイが大逆転のツアー初V
15番で、1.5メートルのバーディパットを決めた。16番では深いバンカーから3メートルに寄せてしのいだ。「俺にもチャンスがある」と、ますます目の色を変えて迎えた17番で、いよいよ首位をとらえた。1メートルのパーパットを拾って藤本に追いつくと、ついに22歳のルーキーを封じた。
最終ホールは55ヤードの第3打。59度のウェッジで「今年一番のショットが打てた」と、1メートル弱に寄せたバーディチャンスが、至福のウィニングパットになった。
「ここで勝てたことに、特別な意味がある」と、それを思うたびに喜びがこみ上げる。「どんなに差があっても、今日は絶対に勝つつもりやった」と、チョイは言う。
ここ浜松には、昨年から正式に用具契約を結んだゴルフメーカー「ヤマハ」の本社がある。また今週、バッグを担いでくれたのは、カスタムメイドのパターメーカー「ジオギャラクシー」の中越豪・社長だ。来日前から親交を深めてきた年上の大親友は、チョイの申し出に快く応じてくれた。
こう見えて、めっぽう義理堅い28歳。恩人に初優勝をプレゼント出来たこと。その点でもなおのこと、喜びは深まる。
「ほんまにめっちゃ嬉しい!!」と、流ちょうな大阪弁は、1年半の寮生活で培った。10歳で単身渡米。米国籍を取得して、ニューメキシコ大学で技を磨いて米ツアー進出を図ったが、それは厳しい道のりだった。
友人から来日を勧められたのは、アメリカで賞金額の低いミニツアーを転々としていたとき。新天地を目指してはるばるとやってきたのが、現在の所属先でもある滋賀県のタラオカントリークラブだ。
「日本にいて、日本語がしゃべれないのはおかしいでしょう」と本人は、相変わらずの関西なまりでこともなげに言うが、「言葉が通じない環境の中で、重ねた努力は相当のものがあったはず」とは、マネージャーのクリス・トモさんだ。
2009年のファイナルQTで本格参戦を果たし、1年目の2010年にはさっそく初シード入りをした。初優勝は、時間の問題と言われた。実際に幾度も優勝争いに絡んだが、あと一歩が届かず忸怩たる思いでいたこの2年間だった。
今季こそ初Vを期して、オフに11㌔減のダイエットに励んだ甲斐はあった。イタリアの高級ブランド「ジョルジョアルマーニ」のチャンピオンブレザーに、この日はまるで最初からその瞬間を、はかっていたかのような真っ白なゴルフパンツは、表彰式でまるで瀟洒(しょうしゃ)な白のスーツに早変わり。
身長179センチのスラリとした体に、ことのほか映えた。中越社長には、目を剥かれた。先月に染めたばかりの金髪も、洒落た白のジャケットにはむしろ、しっくりと馴染んで「かなり、イケてると思えへん?」。即席のファッションショーで、ドヤ顔になった。
今大会前に、中越社長と約束した。「バッグを担いであげるかわりに今週、成績が悪かったら黒髪に戻すこと」。恩人も、この嬉しい誤算には、もう少し猶予をくれるだろう。
仲間に頭から、ノンアルコールビールを浴びせかけられたチャンピオンは、「そのうち必ず戻すので」。もうしばらくはこの髪色で、美酒の余韻に浸っていたい。