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カシオワールドオープン 2016
S・K・ホは「QTには行きません」
3日目終了時点の大会順位は、43位タイ。もちろん、最終日も予定通りに回っていたら、どうなったかはわからない。それでもつい、仮定したくなる。
仮にこのまま最終ラウンドを回り切れたとして、賞金をまるままもらえていたとしたら・・・。
ちょうどボーダー線上のランク82位を維持できていたかもしれない。
「でもこれが競技のルールなので。受け止めるしかない」。
競技は54ホールの短縮に、加算賞金も75%に減額されたことで、やっと73万5000円を加えたが、それにはわずか1万2694円足りなかった。
土壇場ではじき出された。
14年連続で守ってきたシード権を失い「いつかは来るとは思っていたが、その時期が来ましたね」。
日本ツアーは2001年の初参戦で、同年にはチャレンジトーナメントで賞金1位となり、出場権を獲得した。
すぐ翌年の02年に「住建産業オープン広島」で、ツアー初優勝。04年には日本プロを制覇。同年7月には日本ゴルフツアー選手権で3勝目を上げて、同一年2つの日本タイトルで、名を売った。
さらに05年には日本プロで大会連覇。すぐに日本語も上手に操り、地道な努力を重ねて異国のツアーで人気者になった。
日本ツアーで活躍する韓流の先駆け的存在として、牽引した。
しかし08年の「レクサス選手権」でツアー通算8勝目を飾ってから以降、勝てなくなった。43歳。
「年齢のせいなのかな。強かったときと比べると、今まで出来たことが出来ない。今の自分のゴルフの内容に、焦ってしまった。昔はしないミスをする自分を受け止められなかった」。
次週は、起死回生を期すファイナルQTがあるが、申し込みはしなかった。
「この14年で成績も残せたし、後悔はありません。人生でこんな経験が出来たことは、嬉しかった」。
二度と、日本ツアーに帰ってこないような口ぶりだが「来年は、多くても5試合ぐらいに試合を絞ろうか、と」。
韓国で始めたゴルフ関連の事業も軌道に乗り始めた。日本でも、ゴルフ番組を持っているといい、競技生活は主催者推薦で出られる試合に絞ってこれを機に、人生の転換を図るという。
シード権争いの選手たちにとっては今年も悲喜こもごもの最終戦が終わった。